夜の柩

語るに落ちる

まつりばやし

 

仕事の帰り、少し寄り道をしたら遠くから祭囃子が聞こえた。9月も半ばに入って少しずつ秋めいてきた今日この頃。残暑がまだまだ厳しい日々の中で、笛や太鼓の音が鳴る。夕焼けの空に混ざるそれが少しだけ胸に迫るような、郷愁のような、焦燥のような、懐かしさのような、なんともいえない、けれど昔たしかに経験したはずの通り過ぎた記憶を呼び起こしてどうにも落ち着かなかった。夏って、そういうところある。明るさと暗さのコントラストが強烈で。あちらとそちらの境界線も曖昧になりやすくて。鮮やかな色を傷のように残していく。昔からあまり、仲良くなれたことがない季節だ。仲良くなれないのに、終わる頃には決まってもう過ぎてしまうのかとさみしくなる。

特に何をするわけでもないが、音がする方へ足を向ける。視界に入るのはくたびれた屋台と鉄板から昇る煙、浴衣を着た人、チープな作りのお面、ふくらんだ袋に入った綿菓子、子ども用のビニールプールに所狭しと浮かぶ水風船、射的……規模は小さいがよく見る祭りの屋台だ。色々な食べ物が混ざった匂いに胃袋が刺激される。祭りで買う屋台飯って凝った味付けでもないのに妙にうまい。家で食べてもこんなにうまいとは思わない。多分子どもの頃からの積み重なった記憶とこの場の非現実な雰囲気が味覚に補正をかけている。たこやき、やきそば、フランクフルト、チョコバナナ、りんご飴、わたあめ、かたぬきのなんかよくわからない砂糖のかたまりのような板、キンと冷えたラムネもそう。どれも一つずつ買いたいが、生憎と胃袋は一つしかないもので。おまけに人の数もそれなりだったことや仕事終わりだったこともあり、並んでまで買う気には到底なれず、眺めるだけ眺めて元来た道に戻ってしまった。

ああ、夢がないなあ。子どもの頃は喜んで屋台を覗いていたのに。今ではすっかり疲れ切っていて、はやく帰りたいが頭を占めている。大人だからこそ夢をみたいし、買いたいのに。