夜の柩

語るに落ちる

紫煙を燻らせる夜

 

夜中にふと目が覚めた時に窓をあけて煙草を喫う。いつも眠りが浅くて少しの物音でも起きてしまう。しばらく眠れないこともザラにある。時間的にも誰かに連絡できないし、そもそも連絡をするような相手もいない。いや、いるにはいるが、一言連絡を入れることで起こしてしまうのは忍びないから結局ひとりで過ごす時間になる。

ベッドからのそのそと起きて、煙草とライターと灰皿をお供に窓辺に寄りかかる。24時間年中無休のコンビニの看板がまぶしい。まだ暑い時期だったら流れる汗に耐えかねてアイスでも買いに行ったけど、生憎と日に日に気温が下がってきていて、着の身着のまま気軽に行くことができなくなった。徒歩3分圏内にある手軽さ。それを簡単に手放せるくらいにはものぐさだし、夜中に出歩くことをもうひとりの自分が待ったをかけるような性根の真面目さも顔を覗かせている。

煙草はアークロイヤルばかり喫っている。長いことパラダイスティーだったのをスイートに変えて、今はワイルドカードに落ち着いている。最終的に選ぶのはやっぱりコーヒー系統らしい。ほろ苦さが自分の味覚によく合うのと、煙草が黒いのも気に入っている。

ライターは使えれば何でもいい。もっというならマッチの方が好きだけど、後始末の楽さでライターを使っている。そういえばライターの色も黒い。煙草の色とお揃いだ。なんとなく統一感があっておさまり良く感じる。"風に強い"ことを大きなフォントで載せていて、どうやらそれがウリらしかった。残念ながら風の強い日に使ったことはない。

灰皿はもう売っていないハンドメイド品で、小ぶりだけど厚みのある陶器に王冠をかぶった犬の絵が描かれている。喫い始めた時からお世話になっていて、煙草を喫わなくても視界に入れてちょっと眺めるくらいには愛着がある。

実家に行く時は煙草を持って行かないし、一本も喫わない。そもそも喫煙者だと言っていないし、思われてもいない。煙草を手にしない子だと思われている。昔は愛煙家だった両親も禁煙して長い。三度の飯より煙草を愛していた祖父はもういない。慣れ親しんでいたはずの紫煙の匂いは、今もう実家のどこを探してもない。それが少しだけ古びた記憶の居心地を悪くさせる。

別にきっと、手元になくてもいいものだ。現に他の何かをしている時や実家に帰省している時、そこそこの長時間喫わなくてもなんとも思わない。イライラや不安や手持ち無沙汰を紛らわせるために手っ取り早く解消する方法がそれなだけだ。他の方法があるならそれで事足りている。

それでも喫うのは、喫い始めた理由がすべてだからだ。特にこんな、寄る辺のない夜にこそ縋ってしまう。

煙草を喫う理由。手を伸ばした理由。どこかで見た何かの一文に”ゆるやかな自殺”とあって、その言葉にどうしようもなくほっとしたからだった。