夜の柩

語るに落ちる

おむすび、おにぎり

 

おむすび、という響きが好きだ。おにぎりという言い方も好きだけど、おむすびという言葉の方がなんだかよい。食べ物としても非常に愛着がある。丸型はころんとして可愛いし、俵型はちょっと高級な感じがする。でもやっぱり三角型が一番心に刺さる。絵本とか幼児向けアニメーションとか日本昔話とかによく三角型のおむすびが出てきて、子ども心にその食べ物は身近でありながらちょっと特殊な位置にある食べ物という認識だった。なぜ特殊って、家族の誰も三角型のおむすびを握れる人がいなかったから。

今でこそ百均に行けば簡単に三角に作れる便利道具があるけど、当時はそういうものがなかった。母親の料理は昔から美味しかったけど、形のあるものを作るとなると途端に不器用で、おむすびを作ってくれる時は決まってまんまる球体の、黒い海苔が全面に貼りつけられたボール型だった。要するに角や辺がない。父親は台所に立つような人ではなかったし、祖母はそもそもおむすびというものを作らなかった。

三角のおむすびが食べたいなあと言うと、母親は一応作り始めは頑張ってくれはするけど、途中で嫌になるのか結局いつものまんまる球体のボール型になってしまう。それならせめて海苔をそれっぽくつければいいと思うのにやっぱり全面に巻いてしまうから、これじゃない……と、しょんぼりした気持ちになった。作ってくれるだけ有り難いのは勿論だけど、そうじゃないと言いたかった。

三角型へのおむすびに憧れを募らせたまま大人になり、一人暮らしを始めてしばらく経った頃、出先で入った定食屋のメニューにおにぎり定食なるものを見つけた。好きな具を二つと沢庵と豚汁がセットになったやつで、梅干しとおかかと鮭と、あとサイドにある具材から選べるというものだった。他のメニューには目もくれずにその定食──梅干しと鮭──を頼んだはいうまでもない。期待を込めてじっとしている時間がなんだか楽しく、そわそわとした心地で壁にあった細長い木の板に書かれた各定食の名前と金額を眺めて待った。

どうぞ、という言葉と共に目の前に出されたそれは間違いなく長年憧れた三角型のおむすびで、内心これこれこれ!これ!!と喜びに叫んでいたけど、実際に言葉として出してしまうと怪しまれるのでぐっと呑み込む。それでも喜ぶ気持ちは抑えられず、口元がゆるんでしまうのを隠すのは諦めて、焦がれた三角のおむすびに齧りついた。梅干しの梅は程良い酸味で好ましかったし、鮭の塩加減も絶妙。沢庵は甘い味付けで美味しかったし、豚汁の温かさにもほっとした。目にも舌にも見事に望んでいたものが現れて、幼心の憧憬を叶えてくれたその定食屋は今でもたびたび行っている。

先日、母親がラインである写真を送ってきた。それは三角の形をしたおむすびで、下の辺に海苔が巻いてあるやつと、ごま塩が振られたやつだった。どうやら百均で買った型にはめて作ったらしい。やっと三角型のおむすびが作れるようになったと得意気に話していた。喜ばしいことではあるのに、それはそれでちょっと物足りない気がしてしまうのは、あのまんまる球体の真っ黒おむすびで長年育ったせいだと思う。人間ってなんてわがままなんだろう。

今度帰省した時に、おむすびが食べたいと言ってみようと思う。まんまる球体でも三角でも、どちらが出てきてもきっと嬉しいし美味しい。