夜の柩

語るに落ちる

春の嵐

 

何となく手持ち無沙汰で、部屋の片隅で埃をかぶっていた祖父の積ん読に目を向けたら『春の嵐』という本を見つけた。すっかり日に焼けてしまって、紙魚もいて傷んでいて、中身なんてとても読めたものじゃなかったけど、いつだか昔に目を通した記憶がうっすらと蘇った。

異国の作家が書いた本。幸福や孤独の意味を問うていた気がする本。その当時は途中で読むのをやめてしまった。あらすじに目を通して、今もう一度読み直してみるのもいいかもしれない。

この世には数多くあるジャンルに数多くの作家と本が溢れている。文学は掴まれるものがなかったら何も支持されない。書く側も、どこかにさみしさや虚無や孤独や絶望を抱えていないと何かを残そうなんて思いもしない。縋る藁を見つけられない人に寄り添うのが文学だと思う。

リア充に文学はいらないって台詞を誰かが言っていた。その時は単純に本を読む習慣がないんじゃないかと思っていたけど、例え読める環境が揃っていたとしても手に取る人と取らない人がいる。その違いが、今なら何となくわかる。