夜の柩

語るに落ちる

勝手に期待して、勝手に裏切られた気持ちになって

 
『東京は愛せど何もない』

丸の内サディスティックの歌詞にあった一文。それは全てを手にしているから何もないと思うんじゃないのかって。元から何もなければ東京はやっぱり都会で、便利で、何でもあって、憧れと妬みの坩堝なのだろう。そこにいてたくさんのものを見て聞いて触れたうえで愛しているといえるのは少し羨ましい。

きっと誰かよりも少しだけ期待値を高めに設定してしまうのだと思う。例えば上司、新しい生活、引っ越した先の土地、他にも今までとは違う誰か、何か、どこか。そこに不安以外にも少しだけ期待値が混ざっていて、それが恐らく高めになっている。変わりたい願望がそうさせるのかもしれない。今までもそうだったように、どこに行って誰に出逢っても結局は変わらないのだから期待はするものではないことも身に沁みているのに、いつもそこだけ正しく学習しない。バグでも起こっているんじゃないのか。勝手に期待して、勝手に裏切られた気持ちになるのはやめたいのに。こっちの身勝手で失望されるのも心外だと思う。

ひとつが嫌になったら関連する全ても嫌になる潔癖を抱えている。愛することが受容と許容ならなんて難しいことだろう。死ぬまでに何か一個でも愛せるものが見つかればいいけど。