夜の柩

語るに落ちる

絶望の味をひと匙

 

全て不可抗力な理由でも、ニ~三年単位で職場を変えていると、子どもの頃にぼんやりと考えていた理想の自分には程遠いな、と思う。地に足のついた生活を送っているのが自立した大人だと思っていた。それを基準にして今の自分を考えると、胸を張って自立しているとはいえない。

多少給料が低くても自分の好きなことを職業にするか、自分の好きなことではないけどある程度の給料をもらっているか、そのどちらかであれば何とかやっていけるのかもしれない。今の現状はどちらでもないから余計に色々と考えてしまうものはある。前の職場はきらいではなかったから、続けられなくなった時は大層落ち込んだ。生活のためにというただそれだけの理由で選んだ今の職場はただ苦しい。

少し背伸びをすればできること、背伸びをしてもできないこと。得意なこと、不得意なこと。好きなこと、嫌いなこと。それらは全てイコールでは繋がらない。得意で好きなことであればそれが一番だけど、それだってきっとどこかで壁にぶちあたる。でもその壁にぶちあたった時に、乗り越えてやろうという気持ちになれるかどうかの違いに大きく影響するとは思う。できなくて、不得意で、嫌いなことだと壁にぶちあたりっぱなしで、乗り越えるどころか日々を終えることに精一杯になりがちだから。

自立ってなんだろう、と思う。親の力を借りないことは第一としても、じゃあそれ以外に自立しているといえる条件はなんだろう。定職に就いていること? 一人でも生きていけること? パートナーや子どもがいること? どれもが自立といえるだろうし、それだけではないのだろうとも思う。考えるとむずかしい。

常々生きることに向いていないと思っている。至るところで生き難さを感じる。ふとした瞬間に身の置き場がないような、どこに行きたいのかわからないような、どうしたらいいのか、どうしたかったのか、何になりたかったのか。漠然としたものに呑み込まれそうな、足元から崩れそうな感覚と共に、ぽっかりとした黒い穴が目の前に現れる。それに入れば終わりだと理解しているのに、疲れ切ってしまうとそこに足を向けたくなる。

長生きなんてしたくないと言うと、長生きしないと勿体無いと言われる。その感覚がよくわからない。先への不安を抱えたまま、疲れたまま、あと何十年も生きなくてはいけないことに苦しいとすら感じるのに。寄り添ってくる絶望を振りほどけたら何か変わるとでもいうのだろうか。まだ、わからない。