夜の柩

語るに落ちる

シュレディンガーのやさしさ

 
夜、布団に入ると色々な考えが脈絡無く浮かんでは消える。昼間には思いつかなかったようなことも、今の今まで忘れていたようなことも、後悔も反省もアレコレと目まぐるしい。布団に包まれて重たい体や疲れを溶かされることで気が緩むのかもしれない。抑圧されていたものや緊張や理性が解けていくと、どうしてか記憶も緩くなる気がする。

もっとあれしておけばよかったとか、もっとこうしておけばよかったとか、あの時あんなこと言わなければよかったとか、あんなことしなければよかったとか。過ぎ去ってから悔いることがたくさんありすぎて、いい加減に同じことを繰り返すのはやめたい。と思うのに、悲しいかな、自分の悪いところはそう簡単には直ってくれないらしい。明日はこうしようと思っていても、その通りにならないことの方が多くてがっかりする。

自分にそうしていく力がないのか、あったとしても周りのエネルギーが強すぎて振り回されているのか、そもそも見当違いの方向に作用しているのか。わからないけど、自分の人生なんだからもう少し自分のいうことを聞いてくれよと嘆きたくもなる。

もっと勉強しておけばよかったは当たり前のように思う。もっと本を読んでおきたかった、もっと絵を描いておけばよかった、もっと文章を書いておけばよかった、もっとお金の大事さを考えればよかった、もっと友だちと遊べばよかった、もっとやさしくなれればよかった、もっと、もっと。浮かんでは消えてを繰り返すそれらに悲しくなって、もうやめよう寝てしまおう、となる。そこそこの経験をしてきた今の歳になってもこんな調子なら、もっと歳を重ねた時はどうなるのだろう。死に近づけば諦めや開き直りが勝るものなのか。やっぱり過去のアレコレに胸を痛めながら眠る日もあるのかもしれない。

涙の数だけ強くなれるというなら、抱えた傷の数だけやさしくなれたらよかったのに。誰にでもやさしくはできないし、したくないけど、せめて今そばにいてくれる人たちには。