夜の柩

語るに落ちる

言葉の壁

 
標準語ってどこの地域を基準にしているのだろう。日本ならやっぱり東京になるのだろうか。でも東京も、少し前まで江戸っ子みたいな言葉があったくらいだから、標準語と呼ばれる言葉や発音が生まれたのは本当に最近のことだと思う。地方から来た人たちの坩堝と考えると色々な地域の言葉が混ざり合って今のように落ち着いたのだろうか。北の方はアイヌだし、沖縄は琉球だし、東北も関西もそれぞれの方言があるし、寒い地域と暖かい地域、港があるかないかでもかなり違ってくる。同じ国なのかと思うほどに。標準語って一体なに?

他の地域で長く住むこともなかなかないために、自分が日常的に使っている言葉が方言だとか訛っているとかあまり意識することもないけど、時折祖父母の世代の方々と話をすると「あ、これが訛ってるってことか……」としみじみするような話し方に出会うことがある。漁師さんたちが使うような浜言葉も独特で、初めて聞いた時は英語のリスニングの時と同じようにまったくわからなかった。わからなかったというか、そもそも一音一音を聞き取るのが難しかった。こういう言葉って一体どこから来ているのだろう。

言葉って考えれば考えるほど地域の文化と密接しているもので、世代によってどんどん変わっていくもので、携帯の進化よりは遅いとしても目まぐるしさを感じるものの一つだと思う。自分たちが子どもの頃当たり前に使っていた言葉が今ではもう死語だったりする。迂闊に話題に出そうものならそこから年齢がバレる。怖い。あとは本当は間違っていたのに今ではそれも正しいと言われる言葉……ふんいきとふいんきとか。もある。

発音にしてもそうで、こちらは正しいと思って喋っていてもなんか訛ってない?って言われると、ちょっとした引っ掛かりを覚える。こちとらこの発音で今の今まで生きてきたんですよ、訛ってない発音ってなんぞ、と。けど、所謂標準の発音というものを聞いてもいまいちピンと来なかったり、むずむずとした違和感を覚えたりするので──慣れといわれたらそれまでではあるけど──染みついてしまったものを新たな色に染めるのはなかなか難しい。地方出身の役者とか大変だったろうな……とドラマや映画を観るたびにしみじみしてしまう。

それを考えると、標準語というのは垢抜けた言葉ということで、ある種誰に使っても通じる無難な言葉ともいえるもので。そちらの方がコミュニケーションを取るには圧倒的に楽ではあるのだけど、方言のあの何とも説明のし難いニュアンスというか、詰め込まれた感覚的な意味を標準語に戻すのがとても難しい。説明の仕様がないものもある。それも言葉をたくさん知っていれば解決するのかもしれないけど、どれを聞いてもしっくり来るものはない気がする。なんとなく近い意味かなって妥協できる位置があるくらいで。

方言翻訳機というものがあるなら、ちょっと使ってみたい。