夜の柩

語るに落ちる

枯れ木に水を与えたところで枯れたまま

 

「今時植木鉢なんて珍しくもないだろう」

「きみの部屋にあることが珍しい」

「……それもそうか」

「ペットも植物も最後までみられないって言って自分の手元には一切置かなかったのにね」

「今でも変わらない。どちらかといえば植物の世話は兄さんの方が上手いし、ペットは母さんの方が愛情深くみられる」

「それでもコレには手をかけたんだ」

「貰ったものだから」

「ふうん。手元に置かないのって放ったらかして枯らすから?」

「いいや、構いすぎて枯らすんだ」

 

いつか昔に友人が遊びに来た時の会話だ。殺風景な部屋の中で、窓際にぽつんと置かれた何も植わっていない鉢は彼女の目に余程珍しく映ったらしい。揶揄するつもりで言ったのだろう言葉に思いの外自嘲が滲んでしまった。面食らったような友人の顔は今でもはっきりと思い出せる。話を振ってきたのは向こうだとしても、もう少しうまい流し方があったのに。

いつもいつも、大事なものほど構いすぎて最終的には駄目にする。それは植物ばかりではなくペットもヒトも例外ではなく。まともに関われないならそばにいるべきではないと諦めてもう随分と経つ。それからはどんなに強い植物でも、どんなに利口なペットでも、どんなに仲良くなった子でも、必ず受け取ることを拒否するか一線を引くくらいだった。だってサボテンすら枯らしてしまうから。愛情をかければかけるほど根が腐敗していくのが見えてしまう。

それをどうして今回は。何を思ってか受け取って、日の当たる窓際に置いて、あまつさえせっせと世話をしてしまった。案の定、手をかけるほど日に日に弱って、最終的にはカサカサとした茶色く痩せ細った肌になり、軽く触っただけで辛うじてぶら下がっていた枯葉が呆気なく落ちた。水やりを欠かさなかった土だけが枯れた植物とは反対に瑞々しいまま生きていた。

肥料も水やりも間引きも日の当たる場所も、全部良かれと思ってやっているのに。それが本当はすべて負担になっているのかもしれなくて、手遅れになるまで間違っていることにも気づかない。一方的に、ただひたすら与えることしかできない。

数秒か数分か流れた沈黙の後で「きみは優しすぎる」と存外気遣うように言われたことは、多分この先も忘れないと思う。不覚にも言葉に詰まってしまった。どうせだったら笑い飛ばしてくれれば救われたのに。そんな恨み節が一瞬顔を出したけど、その後はいつも通りにしてくれたから随分と助かった。

優しさなんてものには程遠い。庇護対象に向けていたものなんて愛情でも思いやりでもなく、ただのエゴでしかないのだから。