夜の柩

語るに落ちる

ものぐさ極まって両生類になる夢をみる

 

風呂が面倒だ。入ったら気持ちいいのはわかるけど、その入るまでが面倒で仕方ない。元々ものぐさな部分が前面に出てきて、全自動人間丸洗い洗濯機なんてものがあるなら是非ともほしいとすら思う。そこまでいくとちょっとSFめいているし、星新一のショートショートに出てきた……ような気がしなくもない。

風呂にお湯をためる、服を脱ぐ、髪を洗う、身体を洗う、湯船に浸かる、風呂のお湯を抜く、軽く掃除をする、髪と身体を拭く、着替える、髪を乾かす。"風呂に入る"というただの一言の中にこんなにも行程がある。専らシャワーが多いので風呂のお湯をためたり浸かったり抜いたりする作業は減るけど、それにしたって多い。もう考えるだけで面倒。どの人にも共通するだろう行程を単純に連ねたけど、人によってはここに化粧を落とすことや、肌や髪の手入れを追加したりするから本当に細かい。気持ち的には烏の行水のように10分程度で終わらせたいのに短くても正味30分はかかる。

別にお風呂が嫌いな訳ではない。ただひたすら面倒なだけで。仕事から帰ると疲れているせいも大いにある気はする。現に実家にいた時は一時間を優に超えるほど長風呂だった。浴槽の中でぼんやりしているか、今日一日の出来事を思い返しているか、持ち込んだ本を読んでいるかが原因で、あまりに長くいるものだから母親が声をかけに来るくらいだった。そこまでいたら風邪ひきそうなものなのに、これもまた悪いことに追い炊き機能という文明の利器がついていたせいでずっと心地良い温度だったことも長風呂に拍車をかけていた。

シャワーで済ませるようになったのは一人暮らしを始めてからだ。前述の通り、実家にいた時は風呂の中で色々していたのでそこでうとうとすることも多く、母親が呼びに来る声で目を覚ますことも何度もあった。けど、一人暮らしではそうもいかない。そもそも湯船に浸かって気づいた。時間の経過と共にお湯はどんどんぬるくなっていくということに。ここは賃貸物件。追い炊き機能なんて便利な代物は、ない。

文明の利器と心配してくれる誰かがいる状況に甘やかされていたので、すっかりと風呂の過酷さを知らずにいた。当たり前といえば当たり前だけど、お湯は冷めるし、長く浸かっていたら風邪引くし、うとうとしたら死ぬ。溺れかけることを何度も経験して、冬であっても一人でいる時は湯舟に浸かるのはやめよう、と決めた。

数ヵ月前、実家に帰省した時、久しぶりに湯船に浸かった。頭から足の先まで洗った後でも追い炊き機能によってお湯の温度はずっと快適なままで、冷えていた体をじんわりと温めてくれる。そうすると昔の癖がうっかり顔を出してきて──一日の出来事を思い返したり、ぼんやりしたり、うとうとしたり──案の定母親から「そろそろあがったら?」と声がかかって、そこでようやく結構な時間をそこで過ごしていたことに気づいた。快適なお湯の中を出なくちゃいけない面倒さと離れがたさをひしと感じながら、正味2時間、いや、もう少し長く入っていたことに時計を見てから知った。

気持ちの整理は大体風呂の最中でしてきた。嫌なことは体を洗う時に一緒に排水溝に流したし、良いことは入浴剤の匂いと一緒にひっそりと噛み締めて、悩み事の最終的な結論は体にまとわりつく気泡や揺れる水面を眺めながら出した。シャワーだとなかなかこうはいかない。一人暮らしをしてから気持ちの整理をする場所は風呂からトイレに移行している。

入るのが面倒なのと同じくらい出るのも面倒だと思う。シャワーがメインとなった今でも、最初に連ねたやる行程が多いのもそうだし、風呂場にいる時間が短くなった分気持ちの整理をつける前に出なくちゃいけないし、そうなると本当に一つ一つの行程がただの作業でしかない。一時期シャワーでも溺れそうになったことがある。酷い眠気の中で蛇口の開閉を間違ったせいだ。その時に、なんで人間はエラ呼吸や皮膚呼吸ができないんだろう、と思った。それができれば疲れた日でも眠い日でも、お風呂に入って溺れることもなければそのまま眠って朝を迎えたって何も問題はないのに。湯の中で浮いたり沈んだりしながら寝るのは心地良いだろうとすら。

けど、もしも両生類だったら陸にあがっている時間は極端に少ないだろうな、と思う。それが良いのか悪いのかは知る由もない。