夜の柩

語るに落ちる

書くということ

 

書く。描く。どちらかといえば、専ら書く側だ。昔は描く方が多かったのにいつの間にか書く方になった。というのも、描いているうちに色の識別が正しくできていないことに気づいたからだ。色盲というほどではない色弱ではあるけど、自分が知っている色は本物ではないかもしれないと思うと線の上に色を置くのが嫌になった。

事実、学生時代に美術の授業で先生から「下書きはよかったのにどうしてこの色にしたの」と言われたことがある。以降、少しずつ描かなくなって今ではもう完全に描いていない。別に人の目を気にせずそのまま描いていてもよかったはずなのに、子どもとは斯くも残酷なもので、少しでも異質なものを見つけるとそれを弄り回したり抉ったりしてくる。例に漏れず先生のその一言で、静かだった教室からひそひそとした声やクスクスと笑う声が聞こえて、憤りを感じる前に目の前にいる大人と同級生に失望した。それに対して上手く反論できなかった自分にも。

描くことと同じくらい書くこともしていた。こちらは幸いなことに褒められることが多かったのでまだよかったと思う。いとも容易く傷つく自尊心を抱えた子どもが、唯一自分を保てるものであり、唯一の逃げ道でもあった。これは今でも続いている。日記であったり、ブログであったり、ショートストーリーであったり、二次創作であったりで。

幸福な人は筆を持たない。書く必要がなくなるし、幸福な人が書くものに惹かれないのもある。これは個人的な感じ方だけど。どこかさみしさや苦しみを持っているから書くことを続けられるし、かなしい言葉でひとは振り向く。だからという訳ではないけど、追い詰められている時ほど吐くように言葉が浮かぶ。書かない訳にはいかなくなる。

眠れない日が続いた時に、ツイッタで延々と言葉を投下していた時期がある。140字も50近くツイットすれば7000字。400字詰め原稿用紙約20枚分。文庫本と呼ぶにはちょっと薄いかなくらいの文量。真夜中になんて傍迷惑な。フォロワーのいない鍵付きの引きこもりアカウントでやっていたことに自分の冷静さを垣間見るけど、残していたら発狂するだろうから消しておいてよかったと思う。

書くことに限らず創作をするひとはそうしなければならないという業を背負っている。生み出さなければ、作り続けなければならない。理由は様々だけど、憑りつかれたようなそれは最早業だと思う。病を抱えた体で書き続けるためにヒロポンを飲んでいた織田作之助も、アドルム中毒だった坂口安吾も、極端な例えかと思いきやそちら側の人間になるとそうとも言い切れなくなる。書くだけ書いて、追及するだけ追及するには時間も体力も圧倒的に足りない。書くこと=生きることなら、織田も坂口も生きるために薬物中毒になっていたし、生きるために書いていたし、書くために生きていた。

彼らが使っていた薬物は今では簡単には手に入らないけど、現代ではカフェイン中毒というものがある。立派にそれに罹患している。珈琲とビターチョコと煙草を共に、今この日記を書いている。令和の無頼派を気取ろうとするなら、きっともっと破天荒に生きた方がいい。常識に囚われない自由さと、周りを巻き込む豪快さと、傷つきやすい繊細さと。めちゃくちゃと自由は紙一重だ。閉じこもっている鳥籠の扉はいつでも開いている。