夜の柩

語るに落ちる

まるで浅瀬で溺れるような

 

硝子のハートでできた心臓といっても、プラスチックでできたまがいものなので存外強かです。などと冗談めかしてみても割とすぐに心身にガタがくる。例えば過食嘔吐を繰り返すとか、眠ることが更に下手になるとか、肌に原因不明の蕁麻疹が広がるとか。そういう、日常的にある頭痛などの不調とは別に、明らかにいい加減ヤバイぞって状態が体に出てしまうと通常に戻るまでに時間がかかる。

そうなる前に上手く休息や発散ができれば何も問題はないはずなのに、それすらも上手くできない。気力も体力も削がれてしまって、もう何もできずにぼんやりと何時間も過ごしてしまう。

自分に神経質な部分があることは理解している。家から出る時に何度もガスの元栓と水道と窓の鍵を確認してしまうこと、僅かでも気になることがあったらずっと気にしてしまうこと、人よりできないことが多いゆえに完璧を目指そうとしてしまうこと、心理的な潔癖症があること。一度でも嫌な思いや哀しい思いをした場所には、その場所のみならず町全体を嫌って寄り付かなくなってしまったり、買ったばかりの新しいノートの一ページ目で書き損じたらその一冊をまるまる捨ててしまったり。その潔癖具合いに自分でも息苦しさを感じるけど、どうすることもできないまま今の今にも続いてしまっているので、死ぬまでこれと付き合っていかなくてはならない。まだ折り合いのつけ方はわからない。

失敗したり、間違うことは人間誰しも当たり前にあることで、それを繰り返して学んでいくことも多い。他人の失敗や間違いには寛容になれるのに、自分のそれにはまったく寛容になれないどころか許せないとまで思ってしまう。せめて許せない自分がいることを許せたらどんなに楽になるだろう。そう思っても、やっぱり許すことができない。

成長していないな、と思う。停滞していると思う。足を止めてはいないけど、周りのスピードが速すぎて到底追いつけない。自分がやっとの思いでできるようになったことも、覚えられたことも、周りからすればとっくに過去のものですぐに次へ向かわなくてはならない。そうして本当に理解する前に新しいことを取り込むことに必死になるから、できていたはずのことができなくなったり、忘れてしまっていたりする。

息切れしている。息苦しさもある。自分にがっかりもする。ただ必死になるだけでは何にも繋がらないのだと思い知らされて、けれど必死にならないともっとできなくなるし、わからなくなる。程良く手を抜いて生きてみたら、といわれても、それができない状況にいる。そもそもその手を抜く方法すらわからない。生きることがどうにも下手だ。

子どもの頃、あの年齢まで生きられたらいい、と思っていた年齢は過ぎた。過ぎて、じゃあその先はどうやって生きようとちゃんと考えている余裕が今はない。むしろ、何歳まで生きなくてはならないのかと。それを思うと気が重くなる。この先に待ち受けているだろうものものがとても苦い。

何になりたかったとか、何がしたかったとか、これが好きとか、あれが見たいとか、全部変わっていないのにどれにも手を伸ばせないで諦めることばかりが上手くなっている。こんな人間になる予定ではなかったのに。