夜の柩

語るに落ちる

遠く雲はたなびいて

 
部屋が寒い。日に日に冷えていく。まだ暖房をつけるほどでもなく、着込めば何とかなる気温であることは救いだと思う。厳冬の地にいると暖房費は馬鹿にならないからぎりぎりまで耐えたい気持ちと、もう負けてぬくぬくしてもいいんじゃない?という気持ちとが鬩ぎ合う羽目になる。季節の変わり目も相俟って、風邪の片鱗なのか乾燥のせいなのかわからない不調が見え隠れしている。病院へも気軽に行けなくなってしまった代わりにドラッグストアのお世話になることが増えたけど、ほしい薬がある時に限って薬剤師がおらず、一人でゆっくり探したい時に限って声をかけられる。多分こういう場所との相性が悪い。こちらが欲しい薬よりも店側が売りたい薬を勧められるのは正直解せない。それを求めている他の人に売ってほしい。

店内を見回すと老人が多かった。カートを杖代わりに押して店内を回る老人、籠の中に入れられるだけ酒缶を入れる老人、麺類を買い占める老人、耳が遠くて店員と言い争っているかのように大声で問答する老人。なんだかすごく疲れて、必要な薬と水を買って早々に店を出た。

空が遠い。秋の空だ、と思う。立ち寄った小さな公園には誰もいない。昔よく使われていただろう遊具は寂れて、ブランコは鎖ごと上に巻きつけられて使えないようになって、砂場の砂は取り除かれてぽっかりと大きな穴があるだけだった。何もない。何も、ない。ペンキが剥がれたベンチに座ると、ギシギシと軋む音が頼りなさと不安を煽る。この頃どうにも気持ちが安定しなくて、ふらりとどこか遠くへ行きたい衝動にたびたび駆られている。

つらいことがあると遠くへ行きたがるね、と言われたことがある。それはそうだ。だって今いるここが苦しいのだから離れたくなるに決まっている。立ち向かったところで勝ち目はないし、無駄だとわかってしまったら、そこから離れるしか自分の心を守る術がない。争うより口を閉じた方が何倍も楽だ。怒りや憎しみという負のエネルギーはあまりにも大きすぎるから抱えていたくない。

しばらくぼんやりしてから家路につく。郵便受けを覗いたら一枚のハガキが入っていた。行かなくなって随分経つ美容室からで、手書きだけど在り来りな体調を案じる文面で締め括られていた。いかにも営業的なそれだというのに少しほっとする。多分手書きだからで、手書きだけど飽くまでも他人行儀な距離感だからで、踏み込みすぎないところに安心した。これが機械的な文字だったらなんとも思わない。それどころかきっとゴミ箱に流れるように入れて終わっただろう。

端末を開いて美容室のホームページに入る。なんとなく、予約を取ろうと思った。久しぶりにここの美容室に行っていつもより短めに髪を切ってもらう。それで気が晴れるかはわからないけど、日常の中に少しの非日常を入れただけで、その日までここで生きる理由にはなるから。