夜の柩

語るに落ちる

心ここにあらず

 

ふとした瞬間にここではないどこかへ行きたくなる。思えばずっと、それこそ子どもの頃からずっと、心のどこかでここではないどこかへ行きたいと思っている気がする。実家は安心できる場所ではないし、学校も面白くなかったし、地元自体好きではなかった。

最初に働いた場所は実家の自営業だった。家にも地元にも縛られるのが苦痛で、何よりも父と折り合いがつかないままで、数年働いてお金を貯めて家を出た。家を出る時も父と大喧嘩をして母が仲裁に入った。すごい剣幕で「裏切り者」と怒鳴られたことは今でも時々夢にみる。言った本人はとっくに忘れているだろうけど。

訳あってというか、すべて不可抗力でどうしようもない理由で仕事を4回転職した。これはまたどこかで書こうと思っているが、大体2~3年のスパンで4回も転職をしていると自分は仕事に縁がないのかもしれないと落ち込むこともあった。同時に、やっぱりなとどこかで納得している部分もある。

自分がいつも行く先々で根を張れていないような、心がどこかへ飛んでいるような気がするのだ。その日その日は目の前にある仕事を全力でやっている。それでも、その場所で長く──例えば5年、10年、20年と──働いている自分を思い描けない。同じように住んでいる場所もいまいちしっくり来ていない。どこか噛み合わない違和感を抱えたままで今に至っている。

思い返せば身体が弱かった子どもの頃、外で遊ぶたびに熱を出して寝込んでいた。近所にいる他所の子どもたちに混ざって走り回ろうものならすぐに苦しくなって蹲るような身体だった。夏場は特に酷くて暑さにも弱い。次第に庭先に出ることすらも怒られるようになって、日がな一日過ごす場所といえば祖父の書斎だった。ひらがなの読み書きができるようになっても、一人で着替えられるようになっても、一人で歯磨きができるようになっても、一人で片付けができるようになっても保育園には行けず。幼稚園に年長組として入るまでずっと家で過ごしていた。体調を崩すたびに頭に過ぎったのは「もしかしたら死ぬかもなあ」だった。誕生日を迎えると、ひとつ生きた数が増えたこと(生き永らえたこと)にほっとして、同時にまたひとつ生きた数を増やさなくてはいけないこと(来年の誕生日を迎えること)に気が重くなった。いつの頃からか、誕生日を迎えるたびに家族宛てに遺書を書くようになった。いつ死んでも大丈夫なように。それに家族が気づいていたのかはわからないが、嫌な子どもだったと思う。

それが何をどうしてか、そこそこの年齢まで生きている。誕生日遺書は書いていないが、いつ死んでも大丈夫なように、という気持ちで生きていることは変わらず。必要最低限の、片手で足りるくらいのもので十分だと思っているし、相変わらず心はここではないどこかにいる。行くあてもないのにもっとずっと遠くへ行きたいと思っている。

いつかこうして生きていることで自分の首を絞める日がくるのだろうか。希死念慮というほどのものではないこれを抱えて、今度はいつまでここにいるのだろう。

ぼんやり先のことを考えて、また少しだけ憂鬱になる。台風が近い雨の夜。