夜の柩

語るに落ちる

雑多な広告と電子音

 
いつだって情報過多な世界だと思う。文献や口頭が主だった方法の時代から映像や音まで残すことが可能になった現代。何にでも名前や理由をつけたがる。暴かない訳にも残さない訳にもいかないらしい。不安を消すための理由を探す過程で不安を煽られている。それこそ、見ざる言わざる聞かざるをした方が余程こころの均衡を保てるほどには、正解も不正解も嘘も暴言も狂言も溢れている。

昔の文豪たちが残した文献や手紙でのやりとりが現代で惜しみなく晒されていることを考えると、ボタン一つで言葉を消去できる今の方が、完全ではないとしても黒歴史としては残りにくいのかもしれない。それでも技術が進歩しているだろう未来では、もしかしたら消したデータを復元できる術が確立されている可能性も無きにしも非ずで。そうなったら今溢れている情報や言葉たちはどうなるのだろう。それこそ黒歴史の扱いになるのか。

今ですらたくさんの情報たちで煩い世界なのにこれ以上溢れたらどうなるのか。考えると末恐ろしいものを感じる。自分で選ぶ選ばない以前に勝手に飛び込んでくるものもの。不愉快な雑音だろうと思う。それらを遮断するには、やっぱり目も耳も口も閉じるしかないのかもしれない。