夜の柩

語るに落ちる

食事という行為=生命維持?

 
昔から食事が苦手だ。元々食べるのがそれほど早くないこともあるし、幼稚園では弁当を全部食べ終わるまでずっと一人で残らなくてはいけなかったし、家では酒を飲んで暴れる父親がいたからゆっくり食卓を囲むなんてできなかった。よく預けられていた祖母の家で出てくるご飯は、砂糖のように甘いおかずばかりで美味しいと感じることもない。家での食事が楽しいものだと思ったことは一度もなかった。

一人で暮らすようになり、あれこれと色々作るようになってから自分がどういうものを好むのか少しずつわかってきたけど、相変わらず食べることが好きになれないままだ。食材自体や作ることは好きだから、買い出しに行って材料を選びながらどんなものを作ろうかと考えたり、実際に作ることは楽しい。でも、作ったらそこで満足するから食べると何かが違うと感じる。美味しそうに出来上がっても、食べると美味しいと思えない。どうしても。

今は苛立ちと疲労による過食嘔吐を繰り返している。辛くなって作ることもままならない日が続いて、冷蔵庫の食材を傷めて捨てることも多くなった。無駄にしてしまうことに罪悪感が募る。なんでこうなるんだろうと考えても答えは出ない。

一汁一菜でいい、という言葉を見て、冷凍庫に味噌があることを思い出した。具材は何でもいいということもあって、冷蔵庫に残っていたえのきと豆腐と蒲鉾を沸いたお湯の中に入れた。味噌をお湯に溶いた時の匂いに「お腹空いたな」という言葉が自然と口から出た。どうにも昔から味噌汁を美味く作れなくて避けていたけど、今日初めて美味いと感じた。味は相変わらず薄いのに。

北の空気は日ごと冷たくなっていく。体を丸くして過ごすことが増える。お腹が温まると少しほっとする。多分ずっと、泣くためのきっかけがほしかった。何か理由をつけなければ泣けなくなったことに気づいて、また少し悲しくなったけど。今日の夜は、ちゃんと眠れる気がする。